Writer:みのすけさん(公開日:2001年1月)
~1980年
僕は中学時代まで8つ上の兄貴の影響で70年代フォークソング(吉田拓郎、井上陽水、リリィ、絵夢、山崎ハコ、グレープ、三上寛、森田童子、加川良、サイモンとガーファンクル、ジャニスイアンなど)を10才上のピアノ教師だった姉貴の影響でグループサウンズ(ビートルズ、タイガース)とクラシック(ピアノもやらされたさ)を聴いていた。そんなだったから、常に自問自答していた。俺が好きなものって何?その回答が80年代にあったような気がする。
普通の石より変わった形の石に惹かれた。自由な表現、そして伝統的なものからの脱却。プロレスで言うなら80年代はUWF時代(笑)。何かが変わると信じていたし、しらけ世代などと呼ばれていたが、熱いものはあった。ただその熱さが自身の無力なコンプレックスから来ている事も多かった。
1980年~
中学時代バンドなど組んで、アリスやらかぐや姫やらを公民館などで演奏していた記憶はあるが、学校では軟弱に(笑)軟式テニス部の部長なんてものをやっていたりした。高校では軽音学部。そのままテニスを続けていたらドラムも叩かなかったし、芝居もしなかっただろう。そしてそこは色んな奴らの吹きだまりだった。
長渕剛が好きでフォークギターを血だらけになるまでかき鳴らしシャウトする奴。ジミヘンとジョンレノンとスターリンが好きで「ジョンレノンのコンサートで会場全体がスキャンバック!スキャンバック!って人間は皆ただの精子だって叫ぶんだ。なんか凄いだろ?」なんて言ってる奴。
アルフィーと山下達郎が好きで彼女の誕生日に自分の弾き語りを3チャンに録ってプレゼントする気障な奴。ただただ歌謡曲が好きで、聖子ちゃんカットでRCや横浜銀蠅を唄う女。ポップグループとスリッツとピッグバックとグンジョウガクレヨンが好きで非常階段の乾燥うんこ付のアルバム(笑)を持ってるのが自慢の奴。僕はそんな友人達とかたよらずに付き合った。
1982年~
高校二年。当時既にOBだったケラの誘いで有頂天を作る事になる。それまでフォークギターをかき鳴らしていた小心男がその時たまたまドラムをやりたかっただけで叩きはじめる。その後こんなに続けるとは思ってもみなかったが。
そしてこの頃からライブハウスで知り合う変な奴らが増えてくる。その頃記憶に残ってるイベントに「東京フリークス」というのがあって、これは正に 80年代を象徴していた。いわば東京にいる変なバンド、人を集めようという試みだったのだ。近田春男とビブラトーンズ(後のビブラストーン)、久保田信吾とクリスタルバカンス(元81/2の久保田信吾のAORバンド)、遠藤賢司(伝説の)、おピンク兄弟(後のピンク)、東京ブラボー(高木完はその後ラッパーに)、東京タワーズ(今は俳優の加藤けんそう率いる)、ゲルニカ(戸川純のユニット)、鈴木健二(天才ギター少年)、爆風スランプ(デビュー前一番乗ってる頃)、じゃがたら(南蛮渡来時代)、有頂天(おすもうさんの唄の頃)、世間(現ナイロン100℃の犬山犬子がボーカルの昔の歌謡曲をやる女バンド)などなど、その後のインディーシーンを盛り立てる変なバンドが集結していた。この頃はまだナゴムも盛り上がってない頃で初めて出会う変てこりんなバンド、人達との交流は刺激的だったが、実際怖かった。
これは変な世界に足を踏み入れてしまったなと思ったね。しかしなんだかんだいってもまだ高校生。なのに学校に通っているのかスタジオ(又はライブハウス)に通っているのか解らない生活になっていた。勿論成績はがた落ち、スタジオ代で金も尽き、親兄弟にも見放された(笑)それでも、この頃、しげく熱くライブハウスに通っていた。当時、渋谷屋根裏で凄い事になっていた「じゃがたら 」。「爆風銃(バップガン)」と「スーパースランプ」が手を組んだらしいと見にいったらやっぱり凄い事になってた「爆風スランプ」。どちらも大好きだった。
そして高校受験を言い訳に「有頂天」を脱退。大学に入る。大学に入ったら「有頂天」に戻る約束だったのを裏切り、高校で同級生だった内田雄一郎がベースの「筋肉少女帯」を手伝うようになる。「新東京正義乃士」の三柴が入ってからの勢いは凄かった。ライブが終わって楽屋に戻ると酸欠で倒れた女の子が寝ていたりした。盛り上がっているとはいえ、そんなにお金に余裕はなく、九州までライトバンひとつで行き高速でガス欠。メンバー皆で車を押した事もあった。
1985年~
この頃、ケラ、犬山犬子、田口トモロヲらと劇団『健康』を旗揚げする。まさかこの後、『ナイロン100℃』として今に至っているなんて、ケラがエンゲキ人になっているなんて、この時誰が予想しただろう。というか80年代に僕は自分が役者であると認識した事は無かったし。大体嫌いだったのさ。芝居とか(笑)。音楽や映画の方が断然好きだった。
今も良く芝居を観には行くけど、本当に好きなのかは良く解らない。80年代に受けたアノ刺激はもう何者をしても受けられる事ではないのでは、という一種あきらめなのだろうか。自分が年を取ったというのも大いに影響しているのかもしれないが。
80年代よく聴いたアルバム
アルバムは80年代じゃないものが多いね(笑)。しかし言えるのは、全ては「80年代のせい」という事。それほど素敵で、駄目で、魅力的だったのさ。