Writer:UIKAさん(公開日:2001年3月)

が有頂天の事を書いてしまってもいいのかしら?おこがましい気もします。メンバーの目にも触れるかもしれないというのに。まぁ、これも縁でしょうか、元ナゴムギャル代表として頑張ります!ナゴムギャルっていうか、有頂天がメジャーデビューしてからは、ナゴムレーベルのバンドのライブには行かなくて有頂天だけっていうファンも多かったと思うのでナゴムギャル=有頂天ファンとは厳密には言えないかもしれませんが、私の中では有頂天はいつもインディーバンドってイメージでした、最初の印象そのままで。私のまわりはナゴムのライブにも通 っていた子ばっかりだったしね。

さて私が最初に有頂天を知ったのは85年の夏、中3でした。DuranDuranも卒業してイギリスのニューウェイヴバンドを聴きまくっておりましたが、そのシーンも停滞気味で、「何かないかな」と探していた時「宝島」を読み日本のインディーズシーンを知り興味を抱き、その夏新宿でのイベントを偶然みて、その存在(あの場の空気)を「これか?」と思ったのでした。当時私は栃木に住んでいたし受験生だったし、そんなに東京のライブは観に行けなかったので実際有頂天がメインのライブを観たのは86年1月、地元宇都宮でした。ライブ前に地元の輸入レコード屋でサイン会があったので「心の旅」を買ってサインもらって握手してもらって大感激。ギュウギュウのライブハウスでもみくちゃになってライブ観たのも初体験だったし、中3の私には衝撃的な始まりです。その晩には有頂天のファンクラブ(シャイコナ)にもさっそく申し込んだりして一気に夢中になったのです。有頂天の他に雑誌を参考にP-MODEL、ZELDA、トランスレーベルのバンド、Willard他いろいろ、幅広く(節操なく)聴きだして、UK音楽一辺倒だった反動か、日本のバンドがたいへん新鮮に聴こえてすっかりそっちに傾いてしまいました。やはり、レコード聴くだけでライブが観れないUKバンドより、私と同じ様な音楽趣味の日本のバンドを聴いてライブを沢山観れる方がずっとリアリティを感じられて、ちょうど当時のインディーズブームの勢いに気持ちよく乗れたのが良かったんだと思います。

本格的にライブハウスに通いだしたのは高校に入ってから、宇都宮からわざわざ行ってた訳ですが、ライブ終わって家に着くのは午前1時過ぎ、また6時には起きて通 学してたのです。それが週1、2回はあったんですから、ほんと若かったんですねー、体力と情熱がピークだった!そんな感じでしたので制服姿で新宿LOFTなど行ってた事もあり、まだその頃は年上で怖そうな人が多くて、私やマユタンなど結構浮いてたからおとなしく観てたものです。有頂天がメジャーデビューしてからは同年代が一気に増えて、そういう気まずさを感じなくて安心した反面 、「私はあなた達とは違ってマイナーなUK音楽も聴くしデビュー前から有頂天ファンだったのよ!」ってヘンな優越感持っていた気がします。おっかけに夢中でそんなに気にするヒマはなかったですけど、嫌なガキですね(笑)。

よいよ私が上京を決めたのは、何を隠そう、有頂天が新宿LOFTで6DAYSライブをするにあたり「そりゃ毎日通 うのは大変だ」と思ったからなんですね。わはは。家庭の事情で…と、まんまと先生をだまし転校手続きとってもらったのです。そうなったら心おきなくライブに行けますからね、だんだんライブハウスで会う子達と友達になっていって(マユタンもそんなふうに知り合ってかれこれ15年!その頃の友達で今も交友があるのは彼女だけかも。一緒にバンドやっていたせいもありますが)、一緒にいつも早い時間から会場に行ってメンバーを「入り待ち」して、ライブは当然最前列を死守して。その後は「出待ち」をして、とにかくメンバーとお話できるチャンスを作っておりました。こんな事を何度もしていればさすがに顔覚えられて、だんだん緊張せずに話す事もでき、まぁメンバーは心優しい方ばかりだったので、嬉しかったですね。10年以上経つからもう書いちゃいますけど、私は特にKey..の三浦(ミュー)さんの大ファンで、最初はもちろんケラさんからファンになってそれはずっと変わらないんですが、三浦さんが加入してから熱中度が加速してしまいました。だからいつも写真を撮ってましたが、ケラさんか三浦さんが写っているのばかりです。ケラさんは表情や動きが豊かでたいへん撮りがいのある方ですね。ああいうメイクしてても微妙な表情で。

それで好きが高じでとうとう一人で三浦さんに関するミニコミも作ってしまいました。何かカタチにして自分の気持ちの高まりを昇華させたかったのと、もっとお近づきになりたい下心と(笑)。幸い、三浦さんは快く協力して下さって、友人やスタッフの助けを借りて何とか作り上げた時は本当に満足と達成感がありました。ストレスで痩せたりもしましたがそれもいい思い出です。

それを会場で手売りしたり通販したりで売ってたのですが、意外と(?)他のファンの方って冷静なんですよね、「私がこんなに好きな人の本みんな買うはず~!!」なんて思ってたのに、ちょっと肩透かし食らったというか。何百部と売れたんですけどね。でもこの本がP-MODELのファンクラブのスタッフに目が止まり、会報作りませんかとオファーを頂き、弱冠17歳で恐れ多くもスタッフの一員になる事ができたのでした。この流れで話を進めるとP-MODELの話になってしまうので止めときますが、有頂天と同じくP-MODELのライブも皆勤賞だった私でしたので、それはそれは素晴らしい日々でした!発送作業は大変でしたけどねー。

第2部 有頂天の魅力

頂天は80年代初期から活動してるバンドですが、私はその頃のライブは観た事なくて、詳しく説明できないんですけど、寸劇がはさまったライブでもっと暗かったとか、後期とは全然違うノリだったそうで。メンバーも違っているし。ビデオでちょっと観ただけなんですけども。私がライブを観始めた頃の有頂天は第4期有頂天といわれてて、実際観てきたからという訳だけじゃないのですが、やはり一番音楽的にもビジュアル的にも最高だったと思います。

まず、Voのケラさんのパフォーマンス付きの歌い方がとても魅力的で、そこから好きになった私です。そしてキーボードの音色や使い方、ノリの良いリズム…なんですが、メロディラインがまっとうじゃないのに(?)ポップでなんかすぐハミングできちゃう所がいいんですね。思いっきりツボにはまりました。だから何十回とライブを観ても飽きなかったんだと思います。ケラさんをはじめとするメンバーの個性的な存在感が飽きがこないというのもありますが(恋のパワーでしょうか?)アルバムを1枚2枚と出すにつれ曲の感じが色々違ってきたり…、当時はいちいちそういう事は考えていませんでしたけど(笑)。今またこの原稿を書くにあたってCD聴きなおしていますけど、やっぱり今でもかっこいいなぁ、ブラーより全然いいじゃんって思います。ノスタルジーも入っちゃうけど、自分の好きな音楽の原型のひとつかもしれません。曲によってオカズがやたら多いドラムだったり妙にスカスカしてたり、でもクボさんのベースはいつもその人柄を表してるかのような安定感のあるうねりがあって。ギターが2人もいるバンドなのに全然それっぽくなかったり。三浦さんやケラさんのピコピコ音に対する愛を感じるし。キーボードの音や入れ方で有頂天の曲のイメージって決まってると思います。また、たくさんのサンプリング音源が随所に入っていて(水のしぶきやよく分からない音とか)、この録音過程なんだか楽しそうです。実はマサ子さんのCDにこのサンプリング音源、使わせて頂いてるんですね。DX7も大活躍してたときもありました。三浦さんが作った音をまんま使わせてもらって。(←そう、三浦さんから譲り受けたのです。)

あとケラさんは言葉遊びがとても上手というか、造語も多くて、歌詞はライブの度にちょっとづつ変わってたりもしてたのですが、歌詞カードを見て「こんな言葉で歌っていたのか!」と感心したものです。言葉の響きで二重に意味が取れたり、途中で言葉が切れてしまったり、P-MODELの平沢さんがそこらへんのお師匠様だと思うのですが、よくいろいろ思いつくものだと、ひたすら感心です。

ビジュアル面の魅力は、いつもお揃いの衣装を着ていて楽しい所でしょうか。どの衣装も音楽のイメージにしっくりきてて。(マサ子さんもそこらへん影響受けてお揃いにしていました。いちおう、DEVOを見習ったつもりなんですがあんまり分かってもらえなかったな…)各メンバーがそれぞれのイメージを生かした(?)キャラクターでバンド活動していたのもおもしろかったです。ちゃんとそれぞれのメンバーに固定ファンがいて、みんなしっかりお目当てのメンバーに近い所でライブ観てたりして。BF作るヒマもなくライブに通 っていましたね~。ただただキャーキャー騒ぐファンもいて、なんか私達のグループも含め批判的な言動をメンバーがしていた時期もあって、悲しかったですね。今思えばかわいいもんじゃん、ってファンもメンバーも思ってるはずですが、10年以上前じゃみんな若かったですからね…、そんな余裕かましていられなかったんでしょう。

ラさんは有頂天の他に並行してナゴムレーベルの運営に劇団健康も主催してて、1年中有頂天の活動だけしていた訳ではないんですが、しかし私はナゴムから出すレコード好きだしライブも行くし、健康のお芝居も気に入ってたので観に行ってたし、有頂天だけに集中してほしい、なんて事は思わなかったです。他のメンバーの方はバンド活動停止中はソロ活動などしていて、それも観に行っちゃったりして、わたし的にはいつも何かしら観るのに忙しい状態でした。今考えれば(しつこいようですが当時女子高生の私に物事を深く考える余裕はなかったのです)ケラさんてそうとう忙しい生活送ってますよね、バイタリティーのある人だー。とにかくケラさんがする活動は何でも楽しみでした。でも、やがて三浦さんが有頂天を抜けソロ活動に入った頃は(88年?)私の有頂天に対する情熱も冷めかけて、実はそれ以降は数えるほどしかライブ観なくなってしまいました。しかもP-MODELも凍結してしまった日には何を楽しみに生きていけばいいのさ!と、なかばヤケ気味になりましたが、その後はすぐStone Rosesをはじめとするマンチェスターブームにちゃっかりはまってしまって、 音楽のブームのサイクルってうまくできてるなぁーと思いました。マサ子さんのバンド活動も活発になってイカ天なんかにも出ましたからね、そうすると今度は観る側から演奏する側に変わってしまうわけですから、これも時の流れのひとつですね。三浦さんのバンドと対バンできた時は、我ながら成長したなぁ~と、じんときてしまったもんです。

有頂天の解散ライブを観た時は(91年)、すでにプライベートが他に充実していたので、けっこうクールだったのを覚えてます。久々に有頂天にいる三浦さんみれてよかったな、くらいで(ミューミューうるさい?)。

ところで、今も有頂天のCDって売っているのでしょうか?ナゴムの作品も。ロンドンでも受けるかも?たまに里帰りして、自分のいない時に元有頂天のメンバーのライブがあったの知って、いつも悔しい思いをしています。私が来日したら当時のメンバーで再結成ライブしてほしいものです。(何様?)多感な10代後半に(つまりまんまレイト80’s)夢中になった音楽は自分の基礎になってますね。あの頃の思い出は宝物です。楽しくて甘酸っぱい。懐かしい。私は今も当時と大して変わらない生活を送っていて(ロンドンでライブ三昧)成長してないんですけど、個人的にはメンバーの方もそのままでいてほしいな、と思います。遠くにいると美化されちゃってマズイかな?平田さんのナゴム本(編集注:平田順子さんの「ナゴムの話」と推測)読んで、観る方も演る方も当時の事は「青春」だと言ってますし、私もまさにそう思います。

稚拙な、とりとめのない文章ですみません。思い入れが強いと上手く書けないんです~。 長々失礼しました~!


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